2013/12/13

ビックウエーブ

電子立国日本という情報動画をみた。

 以前NHKが放送したシリーズ物のドキュメント番組である。

半導体の誕生から、集積回路の誕生をかなり、詳しく解説しており、当時の時代背景とのリンクも読み取れ、大変今自分が行おうと考えている新ビジネスの参考になった.。
実は、という感じではあるが、版導体メーカーを立ち上げている状況なのです。

戦後暫くの間、増幅/スイッチング用途の代名詞であった真空管から、アメリカで発明された、ダイオード/トランジスタへの転換の歴史は、54歳の自分にとってもいい感じで、リンクする部分が多い。
小学校の時、バスセンターのおもちゃ売り場にあった、ゲルマニウムラジオ(たしか1000円程度)の組み立てキットを楽しみに眺めていた、電気電子少年だった。
なにせ電池が無くてもラジオが聞けると言うのは、魔法のようであった。
やがて、それを組み立てるには、ハンダコテと言う物が必要と解り、数千円の小遣いが無ければ無理と解ったのが同時で始まりだった。
結果的には全てを購入した。

版導体>トランジスタ>IC>マイコン>と結果的に趣味のオーディオから、社会人になって、いきなりデジタルで、その産業がどのように膨れ上がり、経過したのを身を持って体験した世代である。
高度成長期の牽引である、版導体業界、
電子計算機>電卓>フアミコン>パソコン>家電は全てマイコン搭載が普通になり現在がある。
まさかここで、自分が、版導体メーカーを今から「ゼロから」立ち上げる事になろうとは驚きである。
脳卒中の後遺症で、車椅子生活の「身体障害者」である。
パソコンの操作が片手で出来ると言う事だけが、武器である。

個人的には、あの頃のエネルギッシュな時代の再現を繰り返す事に加われる事については、心躍る思いだ。
1970年中期からのあの畳み込むような、電子デバイスの誕生を再現するのが、今の自分の役目だ。
企画設計は日本(札幌)で、実清算は、韓国ソウルである。
世界初の自社Fだけにしかない、画期的デバイス、
簡単にどんな物かと言うと、液晶や LEDに変わるそれより優れた発光表示器である。
まだ、発明申請もしていない状況だ、幸いこれを清算出来るメーカー工場は世界に1社しかないので、誰かに先に商品化される多はないハズだが、この手の発明にはありがちな物で特許申請は急ごうと考えている。
今2013年12月だがあと1ヶ月程度で完成すれば、世界初の快挙で、世の中に非常に役に立つ製品で、日本で一番後発の新規版導体メーカーの誕生となるハズだ。
版導体メーカーの立ち上げに参加する人は本の一握りであろう。この2013年にまさか日本であたらしい、他社に無い版導体デバイスの新規メーカーが誕生するとはだれも思わな意だろう、いま東京の端っこにある、とある有限会社の元で開発を進めている。
5年後を目安に、年商は10億円を予定している、その際には株式会社○○○○を予定
全て、私のアイディである。
今関わっている社員20数名もまさかそんな流れの中に居るとは思っていないだろう、
実際このプロジェクトの中心人物5名ほども、この製品の商品性について、ピンと来ていないだろう。まさにコロンブスの卵的商品だ。
よく自分は勤め先で、「他社に無い物を考えろ」と言われた物だ」 今は、感謝しているが、当時、そういった物を考え説明発表すると、ショックな質問をされあきれた物だ、
たとえば、営業から、他社に無いから、何と言って売れば良いか解らない。と言われたのだ、
それまでの営業は、他社の製品の、このぶぶんが、違う、安いだけで営業して来た歴史しかないからで。
経営者が、「他社に無い独創的な物はイコール売れる」という事と考えたが、その組織全体がそうとは思わなかった様だ。

52歳で退社独立した際、何かその時のネタまたはその考え方で、自分のアイデァをつよくおしてみたかった。
それが、版導体メーカーを立ち上げると言うもの。本当に詳しい人にそんな話をしたら、おまえバカか?と言われそうだが、
版導体いこーる巨大組織工場とイメージするだろうが、ファブメーカーといビジネスがある様に、自分はそれをさらにコンパクトにウインウインで実現出来ないかをまじめにここ5年ほど考えていた。

そんな時に、知り合いから、何か無いかと声をかけられたので、アイデァを提案して、「それで行ってみようとなった次第」


若い頃から、技術屋として、「俺ならこうするんだけどなぁ」的な考えを商品化した物だ。

0 件のコメント: