2013/01/24

鳴き砂

自分は札幌北区屯田町の生まれで、24際まで、住み続けた。
25歳で親が離婚その夏に札幌市南区の北丿沢に自宅を建てた、少し早かったかななとは思ったが、母親と妹と3人で引越その年の9月20日で25歳になった。
慌ただしい年だった。
小学校3年頃叔父に教わり、近くの川(農水路)でフナやコイを釣って育った。
よくいる田舎の少年、今思うと、吹き出すほど、がっかりしてしまう釣り道具で、自転車に乗り、さらに自宅の奥の、古川という川まで、釣りに出かけた、石狩花畔の
紅葉山砂丘の近辺には豊かな釣り場があり、足下を掘り起こすと、
土器や石器がゴロゴロと出てくる様な所が多かった。なんとなく真剣に掘り起こした、覚えがある。

砂地なので、手で掘り起こせるが、黒曜石の石器があると、ガラスの破片で切る様な大けがになった事が何度もある。注意が必要だ。
いわゆる、縄文の跡がある土器も多数採取、学校で見せて自慢したのも懐かしい。

昭和40だか41年にそこで大掛かりな発掘があったようだ、なにかしら板にそのよ鵜な事をを表す、看板が落ちていたので見た覚えがある。
近くのお寺、実家はその檀家だった。には博物館級の土器が保管されている。
その辺は大昔(古代)は海だったそうで、元々石狩の海岸は昔今の江別辺りまであり、1年で1m程度こうツィして行ったそうだ。その場所の横に古い川があり、昔はそこにシャケがあがっていたそうだ。ネットに公開された、公文で、知る事が出来る。


中学ぐらいから、友達と自転車で海水浴/キャンプをよくおこなった叔父に道具を車で海まで運んでもらい送り迎えしてもらい、2−3泊していた。楽しい思い出だ。

その頃は地元でいわれる、7線浜とか6線浜と呼ばれる所でキャンプをした。
自分が小学校の頃には、その浜の幾つかのポイントでまだ、鳴き砂があるところが存在した。高校3年ぐらいのときに鳴き砂はなくなった。

当時ジープで砂浜を乗り回す大人が、多くなり、自然破壊である、
自分もTOYOTAの4WDピックアップを乗り回していた頃だけど... そんな時代。
結果的には自分も社会人になり、あこがれの 4WD車で。同じ事をしていた、がしかし、小さな時に覚えがあるポイントにはこだわり、入り込む事は無かった。その後、その近辺が石狩湾新興事業で、すべて消えた。それでも結婚後、まだ小さかった子供二人をつれて、その浜にキャンプにいった。
自分が小さい時に思い出として強烈な記憶だったので、その少しでも体験させてあげたかっのだが、どうだったのだろう。
鳴き砂は体験させてあげれなかった。のが残念だった。
この浜は当時屯田4番通りを浜方向に1直線に進むと到着したのだが、今思うと、ひどい道を自転車で往復は今思うと。元気な物だった。
砂浜で、遠浅、アサリが豊富に取れ、一人でバケツに一杯も可能だった、プチ名人だった。投げ釣りで、カレイがよく釣れた。
砂もきれいで、海から上がり、体の水滴は海岸の砂をふりかけ、数分したら、水気がなくなる様な状態だった。





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