2013/10/11

「日本なら」、とか「日本では」という言葉

個人的には、ドッキリのこの「日本なら」、とか「日本では」という言葉。
よく使われ散ると思います。だいたいは、他国を避難、否定する言葉の言葉始め的なフレーズで、個人的には嫌です。
一応20年ほど海外(韓国)とのお仕事上以上のおつきあいのある立場であるという所もあるのでしょうが、
日本国内でも色々と類じた会話は耳にしますよね。
関東完成、
人口比からでしょうが、東京で、大阪の人はとか、関西弁はとか?東京=標準的な尺度での会話、
個人的にも、大阪の人々には大変、公私共々大変感謝しています。
確かに札幌(標準語に近いと言われている)在住の自分は、何度か大阪界隈で、その会話や言い回しに驚く事がありましたが、(個人的には子供とその親と思われる2名が駅で喧嘩を始めた時の子供が放った、親と思われる人への一言二言)が強烈だった、自分の育ちではあんな風には言えないなぁ的な巻き舌で、ガツンと一発的な ...

何が言いたいか??
日本なら普通はという言葉は、海外、外国の人には絶対使うべきではないと言う事。
日本でも普通を否定される事もあれば、外国が普通であるという事を大前提で、置くべきであるという事。
まぁ、自分にはお互いを、兄弟と言い合う間柄の友人が居ますが、「中国製品は品質が低い」などど、第三国を攻める会話をしますが、コテコテの技術屋なので、根拠がありすぎで、会話が深く潜り込みすぎてしまう事が、タマに傷。
んでも、合い言葉は、最近の中華製品は品質が高いというのが共通の思いです/
だって、品質管理の、最終兵器「目視検査」似ついて、人件費が現時点で安価な中華圏にかないませんから、
物を見る目た、製品に対しての思いは「おもてなし」の精神と同じで、日本の文化で、これらを遺伝子的に持つAsia圏の文化により、工業製品の品位は保たれているのでしょう。

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