2012/10/03

左半身麻痺からのリハビリ経過 左指が動いた 3

リハビリ(リハビリテーション)とは何?
それが実際の状況で、それまでの人生生活で、全く接した事がない言葉だった。
それが術後から、毎日毎日リハビリ、リハビリと言われて、トレーニングを受ける。
たくさんの担当者が付き、「理学療法」「作業療法」など、聞き慣れない言葉を耳や目にする、最初は「  先生」「看護婦さん」「看護師さん」なんだろうと思った人、\が「作業療法士」「理学療法士」という職種だることが判る。広い意味で、院内では、年配の方々は「先生」と呼んでいる、その他「助手さん」とよばれる「看護師/看護婦さん」と見た目には区別が付かない、スタッフもいて、入院当初は、あまりの藤樹人物の多さに、元々人の名前を覚えるのが苦手な自分は混乱の日々が続いた。
入院半月程度で、ようやく判りかけたのが、リハビリという物の重要性、大昔はそのようなものはなく、特に脳卒中の場合は、絶対安静で、術後、軽い運動等、御法度と考えられていたそうだ、でも現在では、いかに早くから、体を動かすかが、その後の回復に大きく影響することが判り、同種の治療の大きな部分を示すそうだ。
正直入院1ヶ月位で、色々考える余裕も出て来ると、ピクとも動かない、手足や指を見つめて、絶望感を味わう事が多くなる、それまでの健康管理の悪さを後悔したり、もっと、健康だった時に、「あれ?」をやっておくべきだったと、後悔する事も多くなった、同時に、もう2度と指はうごかないのではないかなど、30年勤めたかいしゃを退社して、独立したばかりで、本来なら今まで以上に無理をして頑張らなくてはならない状況下での入院に、あせりや、不安が寝ても覚めても繰り返し頭をよぎる、これは当然の事、いきなり、無収入になる訳だから当然だ。
嫁にも心配をかけるし、息子は東京の大学に通学中3年目、娘は大学受験と、そんな家庭状況での入院だ、とにかく、嫁には最大限の苦労をかけたが、それから退院まで4ヶ月間ほぼ毎日、病院に見舞いに駆けつけてくれた事には、一生感謝しなうてはいけないと心に思った。

季節は丁度GWシーズン、術後、息子が突然見舞いに来た時はうれしかった。
進行中の設計開発案件も中断せず、お客さんと韓国開発メーカーとダイレクトですすめられ、何とか進んでいるようだった。世の中のパワーを知る事になる、誰かが自己に有ったりして、大きなプロジェクトに危機が訪れても、なんとかしようとするパワーには凄い物があると経験した、小説や映画の中の話だけかと思ったが、非常に身近に有る事なんだと...
入院でとにかく役立ったのが、iPhoneである。メールが全て確認出来たので、非常に安心出来た。スチーブに感謝/感謝!!

その後、札幌の町中にある病院から、自宅近くの札幌中村記念南病院に写る事が出来て、妻が時多雨<>病院間が近くなり通い易くなった。片道車なら5分程度。
5月の後半に救急車で搬送された。なにか自宅に近くなるだけで、回復したきになれて、嬉しかった。嬉しかった。
それまで担当だったスタッフには感謝/感謝である。励まされたり、様々な人たちに勇気付けられたりした。
特に参考になった言葉がと感じたのが「寝るも/起きるも/トイレも/食事も、全てがリハビリ」というもの。

転院した病院はまだ出来てから5年程度で今までよりも新しくとても広く、車イスでの移動等も楽である、大変考えられた、設計になっている事をその後随所の部分で考えさせられた。




0 件のコメント: