2014/03/02

Mac スクリーンセーバー アフターダーク フライングトースター

マッキントッシュといえばグラフィックスが綺麗な、パソコンとして発売と同時にその特色を遺憾なく発揮したプログラムが、ユーザーの心をとらえ、熱狂的なファンを築いて来たと思う、自分もその分子の一人と自負している。
当時まだ世の中の殆どが、マイクロソフトMS-DOSでグラフィクスはまだまだ特殊で動きも遅く使える様な物ではなく、Windowsもまだ初期バージョンでまだまだつかえねーぇなぁという代物(売ってはいたけど)
世の人々はマウスの無い、キーボードから呪文的な文字を打ち込んで操作する CUI(キャラクタ•ユーザー•インターフェース)が当たり前に行われていた頃だった。
グラフィックベース GUI(グラフイクス•ユーザー•インターフェース)って遊びオモチャ的な印象が強くて、丁度驚異的にファミコンが普及しておりましたから
日本でもWindows95 Jリーグが発足して市民権を得た頃だ。
ちなみにファミコンは完全にGUIです。
丁度パソコン自体も一定のパアーを持ち始め、動作も早く、メモリも豊富になりようやくまともにGUIが使えて、主要なオフィスソフトも使える様になり、 MS-DOSも必要なくなった、日本でも普及が進んでいた、ワープロソフト「一太郎」なども Windowsで動く様になり、アプリケーション制作会社がほぼWindowsでの動作可能なバージョンを発表した頃Windowsは95からWindows98になり、非常に成熟感を感じるしあがりとなった。
プログラムを作る側も、よりプログラムが作り易く、効率よく(つまり、より簡単に短時間で安定したソフトの開発が可能になった為)
IBM-PCはクローンと呼ばれる互換機も普及され、格安PCとして

それまで、国民機とまで言われた日本電気 (NEC)PC9801からや富士通等数社が独自のPCを制作してそれに マイクロソフトのMS-DOSを移植してセット販売していた頃だ。

MS-DOSもVersionが  1.0から2.0そして3.0とアップしていた頃
 これらは1984年に発表されたIBM-PC/ATをコアとしたハードウェアと2バイト文字といういわゆる漢字文字を直接扱えないため、オリジナルである IBMとマイクロソフトのセット戦略の流れにのれないという弊害を生んでいた、
世界の主流は PC/AT互換機とマイクロソフトであったのだが、余りにも (NEC)PC9801が熟れ過ぎ、世界の流れから取り残される状況に落ちってしまった時期である。
丁度同時期にIBMからDOS/Vというその世界の主流で日本語が使えるオペレーティングシステムが発売された事と、マイクロソフトもその後それらに参加することになり結果的に日本のパソコンがそれ以降世界の流れに取り残されなく使える事により、現在に至る事ととなった陰には沢山のドラマが隠されている。

このDOS/Vの普及でPC/AT互換機が一般に普及することになり結果オリジナル路線だった、 (NEC)PC9801もやがて急速にPC/AT互換機となったのは記憶に新しい。

話はもどって スクリーンセーバーだが、現在 WindowsやMacでは標準で搭載された機能で、元々は、一定時間の操作のない場合、省エネや画面の焼き付けという現象を防止させる為などで、画面の輝度を低くしたり、する機能から発展して行き、画面に面白おかしいキャラクターや効果を表示させる、ユニークなソフトとして人気を得た。
その集大成こそMac スクリーンセーバー アフターダーク フライングトースターだろう
アフターダークという、スクリーンセーバーソフトがあり、それらにオリジナルのプログラムを追加して、オリジナルの スクリーンセーバー機能を追加出来ると言うものだ。

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