リハビリ(リハビリテーション)とは何?
それが実際の状況で、それまでの人生生活で、全く接した事がない言葉だった。
それが術後から、毎日毎日リハビリ、リハビリと言われて、トレーニングを受ける。
たくさんの担当者が付き、「理学療法」「作業療法」など、聞き慣れない言葉を耳や目にする、最初は「 先生」「看護婦さん」「看護師さん」なんだろうと思った人、\が「作業療法士」「理学療法士」という職種だることが判る。広い意味で、院内では、年配の方々は「先生」と呼んでいる、その他「助手さん」とよばれる「看護師/看護婦さん」と見た目には区別が付かない、スタッフもいて、入院当初は、あまりの藤樹人物の多さに、元々人の名前を覚えるのが苦手な自分は混乱の日々が続いた。
入院半月程度で、ようやく判りかけたのが、リハビリという物の重要性、大昔はそのようなものはなく、特に脳卒中の場合は、絶対安静で、術後、軽い運動等、御法度と考えられていたそうだ、でも現在では、いかに早くから、体を動かすかが、その後の回復に大きく影響することが判り、同種の治療の大きな部分を示すそうだ。
正直入院1ヶ月位で、色々考える余裕も出て来ると、ピクとも動かない、手足や指を見つめて、絶望感を味わう事が多くなる、それまでの健康管理の悪さを後悔したり、もっと、健康だった時に、「あれ?」をやっておくべきだったと、後悔する事も多くなった、同時に、もう2度と指はうごかないのではないかなど、30年勤めたかいしゃを退社して、独立したばかりで、本来なら今まで以上に無理をして頑張らなくてはならない状況下での入院に、あせりや、不安が寝ても覚めても繰り返し頭をよぎる、これは当然の事、いきなり、無収入になる訳だから当然だ。
嫁にも心配をかけるし、息子は東京の大学に通学中3年目、娘は大学受験と、そんな家庭状況での入院だ、とにかく、嫁には最大限の苦労をかけたが、それから退院まで4ヶ月間ほぼ毎日、病院に見舞いに駆けつけてくれた事には、一生感謝しなうてはいけないと心に思った。
季節は丁度GWシーズン、術後、息子が突然見舞いに来た時はうれしかった。
進行中の設計開発案件も中断せず、お客さんと韓国開発メーカーとダイレクトですすめられ、何とか進んでいるようだった。世の中のパワーを知る事になる、誰かが自己に有ったりして、大きなプロジェクトに危機が訪れても、なんとかしようとするパワーには凄い物があると経験した、小説や映画の中の話だけかと思ったが、非常に身近に有る事なんだと...
入院でとにかく役立ったのが、iPhoneである。メールが全て確認出来たので、非常に安心出来た。スチーブに感謝/感謝!!
その後、札幌の町中にある病院から、自宅近くの札幌中村記念南病院に写る事が出来て、妻が時多雨<>病院間が近くなり通い易くなった。片道車なら5分程度。
5月の後半に救急車で搬送された。なにか自宅に近くなるだけで、回復したきになれて、嬉しかった。嬉しかった。
それまで担当だったスタッフには感謝/感謝である。励まされたり、様々な人たちに勇気付けられたりした。
特に参考になった言葉がと感じたのが「寝るも/起きるも/トイレも/食事も、全てがリハビリ」というもの。
転院した病院はまだ出来てから5年程度で今までよりも新しくとても広く、車イスでの移動等も楽である、大変考えられた、設計になっている事をその後随所の部分で考えさせられた。
2012/10/03
2012/10/02
左半身麻痺からのリハビリ経過 左指が動いた 2
脳卒中の発症から1年半、緊急手術から1年半が経過
病院の沢山のスタッフの根気のいる対応の積み重ねのおかげで、遂に
2012年9月20日53歳の誕生日を迎えてその翌週に
全く反応しなくなった、左指がピクピク動く様になって来た。
必然的に、やる気と、希望の光がさしてきた。
おそらくは、同様の状態で、いつ動くのだろうと、夢と希望を奪われ、暗く沈んだ生活を送る患者さんは日本中に沢山いるハズだ。
実は仕事として、Web関連の 仕事を行う身なので、入院中も、ブログの立ち上げも考えたしiPhone(当時は iPhone 3S モデル)で、十分対応可能だったが、いくつかの出来事も有り、改めて、個人情報管理の難しさを考えさせられる事も有り、いままだ差し控えさせ手頂いた。
回りの知人は、今まで通り、身の回りで起きた事をアップしては?と言われたが、ようやく自分としてとkitanosawa.com としてのポリシーが固まったので、徐々に更新して行きます。
まず、病院名、これの公開は問題ない事でしょう。
どのような治療をだれから受けた、そのスタッフ名や治療内容の詳細については最低限、慎重に扱います。
スタッフの名前は勿論出しません、たの Web上ではよく実名が公開されていますね。
ギリギリで、イニシャル1文字というところが説明上の理由からということでゴリ切りでしょうか?もちろん、避難や中傷、/風評/悪口は御法度ですね。
とにかく、現在交流が無くなったかた/退院後も交流の続く病院関係者スタッフの皆様へ、深く深く家族全員感謝御礼申し上げます。
その上で、一刻もはやくリハビリから、麻痺した手指/足が動く様になるのは、いつ?といった、最も一刻も早く知りたい事実情報を私の経験から、公開して行きます。
正直私もそのようなじょうほうを公開していらっしゃっている方々の情報は大変ためになり、勇気付けられました。その足しにでもなれば、と思います。
中締めとして一言、全く感じなくなりピクとも動かなくなった、麻痺した手足も突然反応する物なのです。
私は左足が、発病から2ヶ月後に動きました。
その後、1ヶ月で自分の意志で足を立てたり伸ばしたり、ベットの上で横になった状態から出来る様になりました。
病院の沢山のスタッフの根気のいる対応の積み重ねのおかげで、遂に
2012年9月20日53歳の誕生日を迎えてその翌週に
全く反応しなくなった、左指がピクピク動く様になって来た。
必然的に、やる気と、希望の光がさしてきた。
おそらくは、同様の状態で、いつ動くのだろうと、夢と希望を奪われ、暗く沈んだ生活を送る患者さんは日本中に沢山いるハズだ。
実は仕事として、Web関連の 仕事を行う身なので、入院中も、ブログの立ち上げも考えたしiPhone(当時は iPhone 3S モデル)で、十分対応可能だったが、いくつかの出来事も有り、改めて、個人情報管理の難しさを考えさせられる事も有り、いままだ差し控えさせ手頂いた。
回りの知人は、今まで通り、身の回りで起きた事をアップしては?と言われたが、ようやく自分としてとkitanosawa.com としてのポリシーが固まったので、徐々に更新して行きます。
まず、病院名、これの公開は問題ない事でしょう。
どのような治療をだれから受けた、そのスタッフ名や治療内容の詳細については最低限、慎重に扱います。
スタッフの名前は勿論出しません、たの Web上ではよく実名が公開されていますね。
ギリギリで、イニシャル1文字というところが説明上の理由からということでゴリ切りでしょうか?もちろん、避難や中傷、/風評/悪口は御法度ですね。
とにかく、現在交流が無くなったかた/退院後も交流の続く病院関係者スタッフの皆様へ、深く深く家族全員感謝御礼申し上げます。
その上で、一刻もはやくリハビリから、麻痺した手指/足が動く様になるのは、いつ?といった、最も一刻も早く知りたい事実情報を私の経験から、公開して行きます。
正直私もそのようなじょうほうを公開していらっしゃっている方々の情報は大変ためになり、勇気付けられました。その足しにでもなれば、と思います。
中締めとして一言、全く感じなくなりピクとも動かなくなった、麻痺した手足も突然反応する物なのです。
私は左足が、発病から2ヶ月後に動きました。
その後、1ヶ月で自分の意志で足を立てたり伸ばしたり、ベットの上で横になった状態から出来る様になりました。
左半身麻痺からのリハビリ経過
2011年4/26脳卒中(脳内出血)で緊急入院手術、2011年10月末退院。
それから約1年、徐々に回復して来た経過を書き残そうと。このブログに追記しておく。
突然発病、自宅で倒れ、病院に搬送、この時点で血圧が202だったと後に聞く、
それまで特に高血圧ではなかったのだが、覚えが無いその高い数値に、脳内の血管が破裂60ccの血液が脳を圧迫、体が動かなくなり、倒れた。
救急車で札幌の町中にある中村記念病院に搬送、8時間の手術で、この世に美事生還、目覚めた、家族には大変心配をかけた。
本当に、病院の先生達、看護師、各スタッフにはどれだけ感謝の言葉を述べたら良いのか判らない。
術後目覚めてから入り色な説明を受けて、リハビリ「リハビリテーション」がすぐに開始された。
時分のイメージ概念では、手術後なので絶対安静?というかんじなのかと思ったが、後にわかることなのだが、ベッドに数日寝ていると、直ぐに立ち上がれない程に、筋力が衰え、元々、筋力が無い時分等は特に酷く、割初意味での本当の寝たきりになってしまうそうだ。幸い右半身「手足」は正常に動作する、左手足は動かない「なぜ?」なかなかその現実を受け入れないがトレーニングを行いながら説明を受ける事により、現実を受け入れる様になる。
とまあ、やがてより、、自宅に近い、中村記念南病院に1ヶ月後転院して、退院するまでの過程と、リハビリ生活とその経過を書き記します。
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