2015/04/29

Xiaomiの成功、自分はどうなるのだろう

愛機である、米国アップルのiPhone旧型でモデル4S
エッジ液晶とかで、韓国、サムスンのギャラクシーモデル、と大量のスメートホーンが世に普及している。
そりゃぁパソコンの普及時なんか比べ物にならない勢で、世界的にこの2社が販売をあげている。最後の韓国を訪れた際の会話で、地元のスタッフに入手したばかりの iPhone3Sを見せた際が、携帯自慢「死語」 の最後、カラオケ店で見せた所「見せて」「見せて」と、もう大いにモテたw
ひが東日本大震災の直後3月11日昼時に自宅に戻りついたと同時にあの地震を体に感じた、テレビでは異常を伝えている。
その夕刻には大ニュースとして、信じがたい映像が公開されたあの時、自分がイメージしていた近未来が全て、消えた。勤務先を辞めて、独立して初めての案件が、日本の電子部品工場の作業停止により、再設計を必要とされる事態。
それからああだこうだと4月25日の夜、携帯電話の電池が切れるほど現地と話し合い、もうダメだと生産拠点の韓国ソウルに急遽向かわなくてはとなった。
開けて26日世間はGW突入というカレンダーに いつものJCBの担当にお願いする、「一番素早くソウルに行く方法は?」と。
昼前にすぐ返答があり、、ちょっとトイレとたちあがxったら、ふらっと転んだ。なんかへんだと思ったが這うように2回の仕事机から、1回のトイレへ。這うように階段を降りて、用を済ませた。
普段から商用でも便座に座るタイプなのだが、そのまま立ち上がれないので、家族を呼ぶ、ここまでの時点では、立ち上がる事までは出来た。
 その後、居間の椅子に座り、そのまままた滑り落ち床に、ここまでは記憶している、嫁が帰宅>救急車>搬送されている記憶はかすかにある、「やばい」どうなったんだろう?緊急的な病気?
心臓が止まるとか?
まさか脳卒中だとは思わなかった。だが、一大事とは考えながら記憶がなくなる。次に目が覚めたのが、緊急手術後「聞こえますか」とかなんとか話しかけられ、目を開けると、映画やドラマのあのシーンだ、上からブニールチューブが幾つもぶら下がり、どこかに移動されていく瞬間だ、
「ここがどこかわかりますか?」名前も呼ばれる「ここは中村記念病院ですよ」と、いわれ、ピンときた「頭だ」どう考えても「術後」っぽいし、違和感もある。頭の手術 小さくつぶやいてみる、おそるおそる。声は出た、喋れるようだ、息もしている、「両手をグーパーグーパー」してくださいといわれ、その時は出来ているとおもっていたが、今思うと既に左手は動いていなかったのだろう。
そのごめざめて、状況は全て判明「生きている」「手術も成功」「脳内出血」左手足は動かない。
こんな状態だ。
子供の頃から、手先の器用さだけで生きてきた自分が、歩く事も陵手を動かす事もできない事に。
麻痺というらしい、訓練で動く事もあるらしい?
それなりに冷静に判断、どう考えてもどうしょうもない、手が動かない。幸い右手足は動く「不思議な」物だ。

その発病から4年、トコトコとあるけるようになった。
左手はまだ反応なし「まだ」という事にしている、もう動かないとは言わない。
半年前偶然、杖もなしで歩く事ができる事に気がついた、トコトコだ。
2014年11月末日。

それから半年、正式に Webページデザイン作成の広告を立ち上げて、仕事を目に見えるカタチデ再開した。
知人の紹介で2案件ほどのページの制作を行ったのを広く切りにだ、まったくの趣味から、現金収入源とするあらたなる暮らしの始まりが、じだいはもうホームページ制作ビジネスが珍しくもないのでいまさらだが、需要があるだろうと信じるしかない。


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