2012/04/07

気仙沼の思い出

気仙沼と言えば、東日本大震災でその余の被害で昨年2011年は信じがたい被害を受けたことで、その状況は世界中に報道された。そして今なお、復興のスタート地点を模索している状況でしょう。
気仙沼と言えば第二の故郷ともいえる生活をほぼ20年間重ねた経緯がある。
自分が手がけたコンピュータシステムがこの気仙沼南町にあるパチンコ店ライオン南町店に導入されたため、札幌<>気仙沼をほぼ毎月1回は行き来していた次期がある。
札幌<>苫小牧フエリー<>仙台<>気仙沼<>仙台<>苫小牧<>札幌を行き来した。
定宿もいくつかあり、偶然宿泊した気仙沼ホテル観洋には本当にお世話になった。
港のすぐ近くで、若干高台に位置するので、津波の被害は最小限であったのではと思いますが、推定で50回以上宿泊させてもらった、マンボウの刺身をはじめて食べたのもここ。
思いで深い宿だ。
仕事とはいえ、お世話になった方々と良く立ち寄った、南駅前の、居酒屋さんはどうなったんだろうか?津波で流されたのではないだろうか?ニュースの画像を見て駄目だろう...と思った。
本当にお世話になった。方々が沢山いる町で、兎にかく沢山の時間をこの町で過ごした。
ほtんど車で移動だったので、町衆編もたんさくしたので、結構気仙沼は詳しい。それだけに、あの津波の映像は心苦しかった、当時電話も繋がる訳も無く、背中が凍る思いだった。
そうこうしているうちに、自分が脳卒中で倒れて、連絡もつかぬまま......である。
人伝いに、壊滅的と聞いた。
気仙沼は、良い町です、本当に。

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