1990年頃、今思うとバブル期に仕事でApple社のMacに出会う、そこで
GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)に出会い驚愕した。本当にビックリ。
モノクロ9インチ一体型 SE/30(エスイーさんじゅう/サンマル)と呼ばれた大ヒット作である。こんなPCだが、まともに動くアプリケーションも無い状態で、本体も70万もした、もう1台Ciというモデルとフルメモリ(8MB)、大容量 (100MB)ハードディスク仕様でCANONから購入プリンタは150万円。 そのプリンタに使われるフォントが45万円で、プリンタのハードディスクにインストールすると言う物
さらにアプリケーションソフトが合計120万円というビックリなお買い上げ、
ワープロソフトはそれには含まれておらず、クオークというソフトがそれですとかいわれて、使い始める。
すぐに、何か違わないかと気がついてくる、それから担当に訪ねると、印刷会社以外に販売した事が無いといわれ、その後、マックライトというワープロソフトをサービスで受け取った。
本当に笑い話、
駄目元で、申請していた、当時のお国とのコラボ開発案件が受理されたのが発端。高機能な開発環境で、しっかりしたDocumentをと言う事で、言われるがまま的に購入に至った。
繰り返す、バブルな頃だ。
CANONからは、国から受理される1ヶ月以上前に、どうぞお使い下さいと、全てが、事前に納入されていた。??
クオークは重すぎだがその後定着する DTP(ディスクトップパブリッシング)という大きな波の第一波であった。ポストスクリプトという仕組みで作られた、高機能な画期的なプリンタ機能だ。その事は、その後勉強して、良く分かって来た。
実に素晴らしいい
レーザープリンタと言う武器を手にして、設計開発はスムーズに進んだ。やがて、どこぞの情報から、テキストエディタという物の存在を知った。それまでのNECPC9801でも意識はせず使っていたテキストエディタが Macにもある
と言う事で、フリーソフトのエディタを2−3種類使い始めた、快適な動作で
文章を打ち込めた。
当時まつもとという所が提供されていた人気通信ソフトに付属的に付いていたテキストエディタを主につかうようになった。フリーソフトであった。
使い続けて25年の経過で、やがてそのソフトは Jeditと名を変えて、無料ではなくなったが気に入ったので、購入していまも毎日使い続けている。
当時のMacの日本語環境はひどい物で、日本語の文章を打ち込むのにストレスを感じていたが、エディタを軽く動作させて、すらすらと文章を書き、そのデータを、クオークに流し込むという、商売人っぽくCANONの担当さんにアドバイス頂いて利用した。
Mini CADというソフトとEXCEL(バージヨン4)で快適 Mac生活が始った。
ペイントドローソフトのsuperPaintというソフトでイラストを書く様になったのもこの頃で、仕事のDocumentが一気に派手やかになったにもこの頃。
Mac は基本が良いのかそのままで10年以上使い続け、その後パワーPCというプロセッサ製品が発売され名の通り高性能で、それまでのソフトがそのまま動くと言う事で、作業がびゅんびゅんと進み5年ほどで1000ページを軽く超えるDocumentを DTPベースで構築した。特に製品マニュアル類が多かったので DTP環境は最適だったし、周りの評判も高かった。
その後Macはモトローラチップから WindowsPCと同じIntelチップに切り替わりで、現在に至っているのだがiMacが発売された頃から、自分もAdobe Illustrator といわれるソフトもスムーズに動く環境と感じ使い始めた。
もともと設計系なので、ドロー系のソフトとは馴染み易い。
2014年現在もIllustratorは毎日使う定番ソフトだ。CS3という古いバージョンで、奇跡的に動いている、そろそろ、バージョンアップの必要が出て来るだろう。
所で、人に紹介する用途で、タブ操作でサクサクと複数の文章を切り替えれるフリーのテキストエディタを紹介する事が必要になったので、探している。
私は先の通り Jedit とWebPageの作成時に CODAというソフトを使っていてそれだけで困らないのだが、両方とも有料だ。
私はタブ機能は邪魔臭いので嫌いだったが、今回使ってみていいなぁと感じた CODAはタブ機能が標準だし Jeditもその機能をオン出来る。
そんなことで、約25年振りにテキストエディタの使い方に大きな変化が起きたと言う事をここに書いてみた。